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第167回 人生という道の少し先を歩く者として

第167回 人生という道の少し先を歩く者として



こんにちは!Granny Hirokoです。

 

師走も14日。今日は赤穂浪士討ち入りの日ですね。

 

昭和なら、必ず今日はどこかのテレビ局が赤穂浪士の歴史ドラマや映画を放映していたものです。

 

令和には、、、、、忠義とか御恩と奉公みたいな感性はもはや通用しないのかもなー。

 

さて、私事で、昨日はとてもうれしいことがありました。

 

卒業生のSちゃんから、朝突然のLINEが。

 

「今日午前中少しお時間あったりしますか?実家へ行く前に先生とちょっとお茶でもできたらと。」

 

嬉しいお誘いに二つ返事で、「喫茶店なんかより、良かったらうちへいらっしゃい。」

 

すっかり落ち着いて美しい大人の女性になった彼女と会うのは、もう5~6年ぶりかな?

 

幼い子供達と一緒に遊びに来てくれて以来、SNSでは繋がっていたけれど、コロナ禍で会えずじまいでした。

 

益々お母さんらしくなったSちゃん。

 

子育ての話や、生徒だったころの英語教室の想いで話に、花が咲きました。

 

「先生って、時々すごーく会いたくなる人なんです。ここへ来ると、昔と変わらず温かく迎えてもらえるのが嬉しいし。」とSちゃん。

 

母の自宅介護が始まり、それまでの予備校や学習塾での仕事を清算して、自宅で母を看ながら寺子屋みたいな英語教室を

 

自宅の和室2間を開放して始めたころ。

 

彼女は、我が家のお隣の娘さんで生徒第一号だったRちゃんが連れてきてくれた生徒第二号でした。

 

当時は、ちょっと反抗期真っ只中で、化粧したり髪を染めたり、お母さんをなかなかに悩ませていたけれど、

 

英語はセンスもあったし、英語を好きになってくれ、自信をもってくれました。

 

高校では英語だけはいつも学年のトップクラスの成績を維持してくれて、その後、短大の秘書科に進み、有名企業に就職。

 

そのころ知り合った旦那様と今も仲良く暮らしておられます。

 

ちょっとやんちゃ娘だったSちゃんが、本当にいいお母さんになっていて、子供達の自主性を尊重した子育てをしている様子に安堵しま

 

した。

 

長女ちゃんの私立中学進学について私にアドバイスを求めてきた彼女。

 

20年前は生徒と先生という関係でしたが、今は母業の先輩と後輩という立場で対等に話ができたのも嬉しくて。

 

子どもは本当に成長します。どんな風に化けるかわかりません。だからこの仕事辞められない(笑)

 

あきらめずに、見守りながら寄り添いながら、時には厳しく、時には優しく。

 

私も、なかなか自分の子育てではそういう冷静さを欠きましたが。先生としては頑張って来れたかな?

 

長年、この仕事に携わる中で結んできた生徒さん達とのご縁、これからも大事にしたいと再認識した一日でした。

 

そして、Sちゃんを通じて、引っ越しされて音信普通になっていたRちゃんの消息も知れ、彼女もまた

 

結婚し今年出産したと聞いて、お祝いメッセージを送ったら、Rちゃんともまた繋がれました。

 

可愛い生後4か月のベビーちゃんの写メを送ってくれて、彼女も、近いうちに遊びに来ると。

 

毎日のように、喪中はがきが届き、悲しい訃報に心が塞ぐこの季節に、新しい命の誕生のお知らせは、心の中に明かりが灯ったような温

 

かい思いでした。

 

 

繋がる縁は、どんなに離れてもまた繋がります。繋げたくても繋がらない縁もまたあるのも然りですが。

 

私の人生の残り時間、まだお役に立てるのであれば、英語の成績を上げるのはもちろんですが、

 

ほんの少し人生の先を歩く者として、生徒さんや、保護者の皆様に、経験則からのアドバイスを差し上げることが、

 

手を差し伸べることができるなら幸せだと思います。

 

 

 

『人は財産、人が宝』  年を重ねるにつれ、益々心に響く言葉です。