第121回 睦月が往ぬ

第121回 睦月が往ぬ



Hello!  Granny Hirokoです!

 

早いもので、もう明日で一月も終わり。

 

1月は往ぬ

2月は逃げる

3月は去る

 

いにしえ人は、うまいこと言うたもんですね。

 

正月、小正月、節分、立春、桃の節句、と行事の多い年頭の3カ月は、本当に

 

瞬く間に過ぎ去ります。

 

January’s gone,

February runs away.

March leaves so quickly.

 

とでも訳しましょうか?

 

『時間が過ぎる』という感覚も、日本語だとこんな豊かな表現になりますね。

 

おまけに、押韻しているしね、『い』『に』『さ』 の音が。言葉遊びも巧みです。

 

季節感を表した次のような有名な表現がイギリス英語にあります。

 

March comes in like a lion and out like a lamb.

 

三月はライオンのようにやってきて、子羊のように去っていく。

 

四月の声を聴くころには、三月初旬の冬がまだ居座る荒々しいライオンのような厳しい寒さも

 

緩んで、子羊のようにおとなしくなり、春を迎える、といった意味合いでしょうか。

 

一説には、三月初めには、空には「しし座」があり、四月になると「おひつじ座」が

 

見えてくることから、このフレーズが生まれたんだとも。

 

さすが、シェイクスピアやワーズワースを輩出したお国柄。

 

自国の季節をうまくとらえて、言いえて妙ですね。

 

まもなく節分、そして立春。

 

Grannyは、今朝、床の間の掛け軸や、オンラインレッスンルームの壁面の色紙を

 

『如月仕様』に変えました。

 

床の間の掛け軸は、万葉集の山部赤人の梅の歌。

 

かつて師事していた仮名書道のお師匠様からいただいた色紙です。

 

『わが背子に見せむと思ひし梅の花 それとも見えず雪の降れれば』

 

『愛しいあなたに見せようと思っていた梅の花なのに、

 

雪が降り積もって見えなくなってしまったわ。』という歌です。切ない。

 

もしかしたら、雪に埋もれた花、は冷えてしまった男女の仲を暗示しているのかも

 

知れませんね。背子は女が夫や愛人を呼ぶときに使う呼称ですから、

 

赤人は敢えて、女の気持ちになって詠んだのでしょうか?

 

それとも、自分の冷めた気持ちを女に伝えたくて詠んだのか?真意はわかりませんが。

 

万葉集の「ますらをぶり」と呼ばれる、雄々しくダイレクトな歌が私は好きです。

 

修辞技巧に凝った古今や新古今よりもね。

 

好きなら、好きとはっきり言えよ!的な(笑)

 

イラチの大阪人なもんで、すんまへん。

 

 

暦の上では春ですが、まだまだ厚手のコートが手放せない日が二月いっぱいは

 

続くようです。ご自愛ください。